私はやきもち焼きなのかと思う。
やきもちをやくのは、好きだから故なのか…
悩ましい。

私の知っている女の1人は、やきもちをやかないという。
やきもちをやかないというのは、やきもちをやけないということなのか。彼女は強がりではなく純粋にやきもちをやけないのだ。

やきもちをやかないのは
それだけ相手に対して無関心ということだ。

ある日の講義で、「友達が自分を裏切ったら許せるか」という問題がでた。その問題を聞いて私はしばらくは絶対許せないと思った。下手したら仕返しをしてしまうかもしれない。
けれど彼女は、「許すよそんなの」と笑顔で私に向かって言った。
私はそのひとことから、彼女は、本当に他人に無関心なのだと悟った。
許せないと言うのは、それだけその人に信頼をおいていたから許せないのだ。もとから信頼もしていないから、許すことができるのだとおもう。愛情の反対は無関心とはよく言ったものだ。自分が好きでないとそれだけ好きは生まれない。
やきもちをやかないのも、つまりはそういうことだ。
彼女は利用するために付き合っていて、替わりはいくらでもいるということだ。
本当に器用で要領がよくて、そしてどこまでも可哀想だと思った。お金やプレゼントをいくら貰っても、きっと彼女の心は満たされない。いや、満たされたと思うかもしれない。しかし、そんな利用して利用するだけの関係性に果たして幸福はあるのだろうか。
ない。絶対にない。

私の好きな人だったら。
私の好きな人だったら、絶対にこんな女にはひっかからないし、女の方もひっかけはしないだろう。じゃあどうして私のことをえらんでくれたのかはわからない。けど私は彼のことがすきで好きでたまらない。

女にさえも友達がつくれず、男には利用するしかなく、一体彼女はどうやって幸せになるのだろうか。
幸せそうに見える彼女は、一体なにを考えているのだろう。
まあ、私が幸せになれたらなんでもいっか